


池上彰さんと学ぶ12歳からの政治(全5巻)
早逝した初期の大女優 伊沢 蘭奢(いざわ らんじゃ、1889年11月28日 - 1928年6月8日)の伝記です。\r\r\r島根県に生まれる。当時18歳の学生・福原駿雄(のちの徳川夢声)に慕われ、恋愛関係にあった。\r\r女優として\r東京で観た松井須磨子の舞台『人形の家』が忘れられず、演劇を目指すため意を決し離婚する。6歳の佐喜雄を婚家に残し、26歳でふたたび上京する。\r\r1918年、上山草人主宰の「近代劇協会」に加わり、同年『ヴェニスの商人』で初舞台を踏み、舞台女優として歩み始める。同年の島村抱月、翌年の松井須磨子の死、上山の渡米と近代劇協会の解散を機に、畑中蓼坡が主宰し内藤が資金的に支援する劇団「日本新劇協会」へ参加する[。松井亡き後の新劇界をトップスターとして10年もの間に渡って支えた。また、この頃から内藤とは愛人関係にあった。\r\r32歳のころ、松竹蒲田撮影所と契約、牛原虚彦監督のサイレント映画『新しき生へ』に「三浦しげ子」の名で出演、同年8月31日に公開される。松竹蒲田では15本の作品に出演したが、主演作は1作もなかった。同年9月1日の関東大震災により、松竹蒲田撮影所は製作を中断する。\r\r内藤がソビエト連邦(現在のロシア)に旅立つ。伊沢は同年、芹川有吾の父・芹川政一の東京シネマ商会が製作し、畑中が演出する新劇協会の唯一のサイレント映画『街の子』に「伊沢蘭奢」の名で出演、以降、映画にも伊沢の名でクレジットされた。高松豊次郎のタカマツ・アズマプロダクションが東京府南葛飾郡吾嬬町に建設した吾嬬撮影所で、マキノ・プロダクション東京作品『輝ける扉』(監督山本嘉次郎)に出演、同作は同年12月4日に公開された。以降、同撮影所で翌1926年(大正15年)には3本のサイレント映画に出演した。\r\r仲木貞一が書いた戯曲『マダムX』に主演し、大当たりする。同年『マダムX』再演、名実ともに大女優の仲間入りを果たすが、脳出血で死去、満38歳没。\r\r死後\r伊沢の急死の翌1929年(昭和4年)、畑中の新劇協会は解散する。同年、ハリウッドに滞在中の上山が、『マダムX』のバリモア監督による4度目の映画化に出演、同年全米で公開された。\r\r没後、1929年、伊沢の遺稿が『素裸な自画像』として世界社から刊行された。1936年には、第二回芥川賞に佐喜雄の書いた小説『面影』『花の宴』の2作がノミネートされた。
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